【知財よもやま話】 第2話 知的財産権法はじめて物語 ―「高橋是清」


知的財産権法はじめて物語 ―「高橋是清」
知財よもやま話 第2話

                                                                                                  末吉 亙

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なぜ特許制度を設けたいか

高橋是清(1854-1936)は、日本国の知的財産法の父です。
高橋是清は、なぜ特許制度を設けたいのかと米国特許庁で尋ねられ、つぎのように答えました。「ご存じのように、日本が列国と肩を並べようと考えはじめたのは、たかだかペリー総督が日本を開国した1854年以後のことです。それ以来、どの国が最も偉大な国で、日本のめざす国なのかを探しているのです。アメリカは、建国100年、コロンブスがアメリカ大陸を発見してからたった400年しかたっていない国なのに、なぜこのような偉大な国になったのだろうか、と私たちは考えました。調べた結果、その理由が特許にあることがわかり、私たちも特許制度を持つことにしたのです」と(Kenneth W. Dobyns, History of the United States Patent Office(1994), p199)。ステキな回答ですね。

推敲と議論を重ねる

高橋是清は、何回も草案を推敲し、議論を重ねていました。

たとえば、「大日本帝国特許条例議按心得」(明治14(1881)年10月)・特許研究33号(2002)63頁によれば、高橋是清は、担当(農商務省工務局雇の地位でした)してから約5ケ月で特許条例の骨格を既に描いていました。しかも、同心得は、「工務局調査課諸君」に宛てられており、細かい所は諸君と議論して補充する旨が書き込まれています。ここに、草案の推敲を重ねつつ、議論を積み重ねていく高橋是清の姿が偲ばれます。

この心得は、(特許院)(同事務)(審査局)(官吏の禁)(特許券発行)(特許券の種類)(特許券の要部)(特許券の日付)(共同発明)(特許券は必一個の発明又は改良に限る)(特許年限)(特許すべきもの)(輸入発明)(有害新発明及改良)(特許願書)(明細書)(図)(雛型)(願書の審査)(仮願の事)(仮願書の効)(譲受人の名義にて特許券を交付する事)(許券は合法代理人に交付する事を得)(後期追願)(特許発明を用うるものの事)(譲与の事)(偽記)(却下の事)(抵触)(特許院より大審院へ上告する事)(大審院トノ関係)(効力不完全なる特許券)(棄却願)(抵触の訴訟)(犯権損害要償)(被告の弁解)(裁判所より命令書を出す事)(明細書に余分の区域を記載したる特許 被犯者の訴訟)(外国発明の為め影響せられず)(特許券続用の事)(特許手数料)の各項目からなり、その完成度は極めて高いものでした。どうやって起草したのでしょうか。

しかし、最初の特許法である専売特許条例は、明治18(1885)年4月布告、同年7月Ⅰ日施行となりましたし、高橋是清の欧米視察後にはこれが改正され、特許条例として、明治21(1888)年12月公布、翌年2月施行となりました。時間をかけています。

政策的判断

ここでは、以下の2つの例を挙げましょう(『高橋是清自伝(上)』(中公文庫、1976))。

まず、前述の特許条例(1888年公布)によれば、特許局の審判に対しては不服申立及び裁判所への提訴は出来ないものとされています(19条)。つまり、特許庁の審判を最終判断とし、一切の不服申立を許していません。この点、井上毅は、審判については司法審査をすべきであると反論しました。これに対し高橋是清は、ドイツで学んだとおり、幾多の判決例が出来るか、民間に参考となるべき技術家が出て来るまでは、特許庁判断を最終とすべきであると主張しました。井上毅は、ドイツの実情に基づく高橋是清の説に合理性を認め、一時の便法としてこれを承認しました。

つぎに、井上馨が農商務大臣に就任した時、外国の機械を日本の起業家による模倣から保護するための法案の起草を高橋是清に指示したことがあります。これに対し、高橋是清は、不平等条約の改正を日本に有利に展開するための唯一の材料が特許商標による外国人の保護であることを説明し、不平等条約改正に先んじた外国人のための知的財産保護立法をすべきではないと主張しました。井上馨はこれに同調し、上記起草は見送られました。

 このように、高橋是清は、緻密な分析に基づき、政策的判断において重要な事実が何であるかを心得ておりまして、これに基づき、上司を説得することが出来たのです。これらにより、日本国は、正しい政策的判断に到達することが出来ました。

特許局の独立性の確保

欧米視察を終えた高橋是清は、商標、意匠、発明保護の三法律を新たに制定する必要性を感ずると同時に、特許局を独立の組織にし、独立の庁舎にすることを考えていました。上掲『高橋是清自伝(上)』によれば、建物の稟議に際して、高橋是清は、農商務大臣の井上馨に、特許局の新建物を何年使うかと問われ、今後20年と回答しました。20年経って狭くならねば日本発明界のシンポは覚束ない、東京見物に来た者が観音様の次には特許局を見に行こうというくらいにしたいと説明し、井上馨を大笑いさせたといいます。この建物が、震災の時まで築地にあった旧農商務省の建物で、当時都人士の目を驚かせたとあります。そして、そのためには、予算の独立も必要であると考えていました。
これらは、今日に引き継がれています。貴重な制度ですね。

このように、高橋是清は、今日に通じる多くのものを我々に教えています。我々は、この教えに学ぶ必要があると思いませんか。

 

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