【知財よもやま話】 第12話 書き物・読み物・出し物--世に著作権の種は尽きまじ


書き物・読み物・出し物--世に著作権の種は尽きまじ
知財よもやま話 第12話

 杉田直樹

PDF版ダウンロード:【知財よもやま話(12)】書き物・読み物・出し物--世に著作権の種は尽きまじ

1.日本の著作権黎明期

 今年に入って、母校が図らずも春の選抜高校野球と無縁になったこともあり、卒然として歌舞伎の観劇を始めた。文字通り五十の手習いでもあるが(歌舞伎の有名な演目に『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)というものがある)、「六法(六方)」[1]という用語がある上、セリフの間の取り方は打合せや証人尋問にも参考になるところが多く、歌舞伎は弁護士業務にも通ずる部分があるように感じている(制作会社である松竹の迫本淳一社長は弁護士資格を有している)。また、歌舞伎俳優のインタビューの中で「書き物」という言葉が出てくるので、さすが文筆の道も達者で多芸だと感じ入ったら、これは執筆の成果物ではなく、何と新作歌舞伎を意味するのであった。厳密な範囲は決まっていないが、例えば、昭和中期に書かれた『椿説弓張月』[2]などもこれに含めてもよいようである。

 もっとも、私の本業はあくまで弁護士なのであるから、観劇に熱が入る余り、次の反対尋問では、空とぼける敵性証人に向かって「知らざあ言って聞かせやしょう」[3]などと言い出さないように気を付けないといけない。

 さてこの名セリフが登場する演目は河竹黙阿弥の手になるが、今年は彼の生誕から200年に当たり、彼の名作が年明けから続々と上演されている。黙阿弥は明治26年(1893年)1月22日に没したが、彼の存命中の日本には著作権という概念はなかった(いわゆる旧著作権法[4]は、明治32年3月4日制定、同年7月15日施行である)。彼は一種尾上菊五郎一門の座付き作家であったから、その作品の上演に際して何の対価も興行主から得ていなかったとは到底考えられないが、それは、現代的な「著作権の場」とは全く異なるものであったはずである。

 ともかく、黙阿弥の死後に、日本は、(ベルヌ条約の加盟という必要に迫られてではあったが)著作権という権利を「創造」したのである。

2.TPPの行方と著作権

 一方、私は、昨年後半、いわゆるTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉の成り行きを興味深く見守っていた。この合意内容に、著作権の保護期間の延長(50年から70年へ)というものが含まれているが、この成り行きにつき重大な関心を持っていた一人が、谷崎潤一郎の著作権者[5]であったであろう。なぜなら、谷崎は私が世に出る1か月余前の昭和40年7月30日に死去しているから、昨年の同日でその著作権の保護は終焉を迎えるところ、この合意内容の法制化(及び遡及適用)の次第によっては、彼女が承継した著作権が存続することにもなるからである(今の法制度では、4年後の11月25日を以て、前述の『椿説弓張月』の著作権も消滅する)。

 結局、この合意内容を実現する法改正は未だ日の目を見ず、今年に入って増刷された谷崎の文庫本の奥書からは、果たして著作権者としての彼女の名が消えているのであった。

3.「全員○○」の時代

 今度はサッカーに目を転じると、「トータル・フットボール」の体現者と言われたヨハン・クライフは、今年の3月24日、不意に鬼籍に入った。

 私は、彼とリヌス・ミケルスが現出させたこの戦術は、何も彼らの創作品ではなく、同時期にウェールズで生じたラグビーの戦術[6]に多大な示唆を得たものではないかと訝っているが、その当否はともかく、トータル・フットボールは、南米ではさして高評を得てはいない。対欧州の戦績が振るわない僻みもあるだろうが、彼らの目には、この全員攻撃・全員守備の戦術は、正しく「全体主義(Totalism)」的と映るのである。

4.著作権制度の特異性

 我ながら、些か芸談が過ぎたようだが、著作権という権利は、知的財産権の中では実に特異な地位を占めている。これは、物権の中の占有権と同じような立場で、要するに、原則として国家による登録制度[7]がないということによる。

 この意味で、著作権制度は「ミュージアムの思想」、つまり蒐集し分類し必ず陳列する(ただの好事家と違って決して死蔵はしない)という思想の体現ではなく、近代イデオロギーの一環[8]であるわけでは決してない。即ち、中世以前にも成立可能であるとともに、このミュージアムの思想の輸入が遅れた日本[9]でも十分に浸透しうる制度である(実際に十分すぎるほど浸透している)。

 昨今、デジタルカメラ付き携帯電話や、各種ネットワークサービスの普及によって、一個人が簡単に「創作物」と称する文章、写真その他を、世間の目に簡単にさらすことが出来るようになっている。これらの自称創作活動は、喪失の防止としての記録を通じて、一種の喪失物の先行的「回収」(Collection)[10]をも無意識に目的としたものであろう。そして、それをホームページやブログで開陳するにまで至れば、これはネット空間における私家版ミュージアムといえなくもない。

 また、いわゆる「猿の自撮り写真」(野生の猿が写真家デビッド・スレーターの機材を拝借?して自分を撮影した写真の著作権者が誰かという話題)が持ち上がったことも、記憶に新しい(この論争を聞いて、岡林信康の「毛のないエテ公」という曲を思い出した人がいたかどうか)。人間はおろか、遂に猿が著作権者たりえるか否かまで検討されることとなったのであるが、これは、進化論の賛否との関係では複雑かつ深刻な問題を提起するであろうし、ヴァティカンが嫌悪するペイガニズム(Paganism)[11]との関連も検討しなければならない。

5.「著作物」の増殖と著作権の将来

 自称「著作物」が日々増殖するとすれば、それらへの「言及」ないし「干渉」なしでの社会活動(何も創作活動に限らない)が甚だ困難になることは、火を見るよりも明らかである(昨年勃発した第二次東京五輪のエンブレムの盗用問題は、この困難さが創作活動と経済活動の両面で露わになった好例である)。

 このように、世界では、今や、人間社会に限っても、全員著作権者・全員その(潜在的)侵害者という状況、つまり「トータル著作権」の状況を看取しうるようになっている。それは、著作権という権利の有無の判定を公権力がなかなか行わないというその固有の性格(歌舞伎用語で言えば「性根」)に根差すものであるが、世界の全員が著作権制度に「動員」されているとも言えなくもないし、トマス・ホッブズが『リヴァイアサン』等で描いた「万人の万人に対する闘い」(A war all against all)が、著作権という極めて限定された区域で現実化したということでもあろう。

 これにどう対処するのかは、今後の人類の社会活動の死命を制する問題であるが、一案として著作権を廃止するという解決策が唱道されている。その当否を問われて答えるのもおこがましいが[12]、ここでは、それは実は[13]*著作権全体主義という天保銭[14]の裏面に過ぎないと指摘しておくに留めよう。

*本稿の成立に当たっては山川静夫氏(元NHKアナウンサー)より多大なご教示をいただいた。ここに記して深謝する次第である。

【注】

[1] 両手両足を同方向に動かす歩き方で、天地と東西南北の6方向を意味する。『勧進帳』の武蔵坊弁慶が花道から退場する際のそれ(厳密には「飛び六方」という)が典型である。

[2]滝沢馬琴の読本を三島由紀夫が歌舞伎の戯曲に再構成したもので、初演は昭和44年11月の国立劇場(これに当時ハイティーンの五世坂東玉三郎が大抜擢され出演している)、以後再演が重ねられている。木谷真紀子『三島由紀夫と歌舞伎』201頁(翰林書房、2007)。

[3]本外題『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうしはなのにしきえ、通称「白浪五人男」)の浜松屋の場における、弁天小僧菊之助の余りにも有名なセリフである。これに「浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜」と続くが、これは伝説的大盗賊である石川五右衛門の辞世の句と伝えられる「高砂や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」を下敷きにしたものである。

[4]旧著作権法4条には、著作者の死後に興行した著作物の著作権についての規定(死後30年間継続)があるが、黙阿弥の生前に興行の対象になっていなかった作品は殆どないはずであり、この規定の適用の余地は極めて限定的であろう。

[5]彼女は谷崎の唯一の実子ではなく、彼女がどのような経緯で谷崎の著作権を承継したのかは詳らかではない。なお、彼女の姓からも察せられるが、彼女の亡夫は著名な能楽師(往年インスタントコーヒーのCMに出演していた人物)である。

[6] ガレス・エドワーズやJ・P・R・ウィリアムズらの主要メンバー(通称・赤い悪魔)は、1975年に同国代表としての日本遠征で幻想的な戦術を展開し、明朗な人柄とあいまって観客を魅了した。

[7]例外的に、著作権の移転等については登録制度が設けられてはいるが(著作権法75条以下)、その利用状況は頻繁とは言い難い。

[8]松宮秀治『ミュージアムの思想』263頁(白水社、2009)

[9] この思想が十分に行き渡らなかった傍証として、いわゆる安宅コレクションは安宅産業の倒産という悲劇なくしてミュージアム(大阪市立東洋陶磁美術館)に収まることがなかった事実を挙げれば足りるであろう。

[10] マイク・モラスキー『呑めば、都』192頁(筑摩書房、2012)

[11]上野景文『バチカンの聖と俗』159頁(かまくら春秋社、2011)

[12] 「問われて名乗るもおこがましいが」というこれまた人口に膾炙した日本駄右衛門のセリフが、*3に見える。

[13]歌舞伎の世界では、登場人物が後に隠していた正体を顕現させることがしばしば見られ、その場合、正体を「実は○○」とチラシ等に表記する。黙阿弥の代表作である『茨木』での伯母真柴(実は茨木童子という鬼)が典型であり、玉三郎が平成28年の歌舞伎座正月公演でこの役を勤めた。

[14]硬貨である天保通宝の俗称(それ以外の意味もあるようだ)。悪貨の代表格で、幕府が定めた額面の百文の8割程度でしか通用しなかった。幕末から明治初年まで流通したので、黙阿弥は人生のかなりの期間、日常的に使用していたであろう。

 上記コラムに関するご質問・ご相談は、弁護士知財ネットへのお問い合わせをご利用下さい。

コメントは受け付けていません。