営業秘密官民フォーラムメールマガジン掲載コラム 第30回|転職の自由と営業秘密の保護


営業秘密官民フォーラムメールマガジン掲載コラム 第30回

転職の自由と営業秘密の保護

弁護士知財ネット 北海道地域会
弁護士 平澤卓人

PDF版ダウンロード:[営業秘密官民フォーラムメールマガジン掲載コラム] 第30回 転職の自由と営業秘密の保護

第1 はじめに

営業秘密の保護を検討するうえで不可欠な視点として、元従業員の転職の自由の保護という視点を欠くことはできない。これまで、営業秘密を保護する不正競争防止法の条項の適用が問題となった大多数の事案は、過去に当該企業において雇用契約を締結し勤務をしていた従業員の退職後の行為が問題となっているからである。

そこで、本稿では、退職後の転職の自由の社会的意義を検討し、これを踏まえて、営業秘密の保護のあり方を考えてみたい。

第2 転職の自由の社会的意義

労働者の知識や能力、ノウハウや熟練は、労働経済学において人的資本と呼ばれるが、この中には他の企業においても用いることができる一般的人的資本と他の企業では用いることのできない企業特殊的人的資本に大別される[1]。さらに、近時は、中間的な概念として、当該業種においてのみ用いることのできる業種特殊的人的資本や、当該産業においてのみ用いることのできる産業特殊的人的資本といった用語も用いられている[2]

ところで、退職した労働者が、同種の業種や産業に転職できた場合には、純粋な企業特殊的人的資本は埋没するとしても[3]、業種特殊的人的資本や産業特殊的人的資本は埋没せず、転職後の企業において用いることができる。他方で、同種の業種や産業に転職することが禁じる競業避止義務が課せられた場合には、企業特殊的人的資本はもちろんのこと、業種特殊的人的資本や産業特殊的人的資本までも利用できなくなってしまう(図1参照)。これは、当該労働者の不利益に止まらず、社会的な損失となる可能性がある。

図1 転職後に利用可能な人的資本と埋没する人的資本

同じ業種内で転職 異なる業種へ転職
純粋な一般的人的資本 転職後も利用可能となる 転職後も利用可能である。
業種特殊的人的資本 転職後も利用可能となる。 転職すると埋没する。
純粋な企業特殊的人的資本 転職すると埋没する。 転職すると埋没する。

この他、労働者が企業を渡り歩くことは、生産した情報が流出して情報生産のインセンティブにマイナスの影響を与える可能性があるが、知識が移動し、新たな分野に応用され新たなイノベーションを導く可能性も指摘されている。例えば、シリコンバレーが発展した背景にシリコンバレーのあるカリフォルニア州法は競業避止条項を無効としたことが影響していることを指摘するものがある[4]

また、新たな起業をする者の多くが既存の企業で業界の知識を得ていることが多いとの指摘からすれば[5]、労働者が所属していた企業と同じ業務を行うことを許すことは、個人の起業を促進させるという効果も期待できる[6]

以上の観点からすれば、労働者の転職や企業が自由に行うことができること、特に同種の業種や産業で行うことができることは、個人の権利に止まらず社会的な重要性を有すると考えられる[7]

第3 営業秘密の保護のための法制度と転職の自由

以上の点を踏まえて、営業秘密保護のための法制度について検討してみる。

まず、退職する従業員に営業秘密を用いさせない方策としては、契約等で競業避止義務を課すことが考えられる。

しかし、競業避止義務を有効とする場合、労働者が同種の業種や産業で活動することを制限するものであるから、前述した当該労働者の業種特殊的人的資本や産業特殊的人的資本が埋没するおそれがある。また、それに伴い新たな企業によるイノベーションが妨げられるおそれもある。

したがって、競業避止義務を課す場合の転職の自由に対する制限は大きく、その社会的不利益も無視できない。

次に、不正競争防止法上の営業秘密の保護や秘密保持契約による保護を考えてみよう。

不正競争防止法の請求権は、秘密として管理されており、有用な情報であり、公然と知られていない「営業秘密」のみが保護の対象となる。加えて、規制対象となるのは、同法2条1項4号以下の規定された行為に限られている。そうすると、同法の規制は、転職自体を妨げるものではなく、転職後に一定の情報を用いた所定の活動を行うことを規制するものである。また、秘密保持契約に基づく営業秘密の保護も、転職自体を制約しないという意味で、転職の自由に対する制約は大きくない。

したがって、労働者の転職の自由という観点からは、契約等による競業避止義務よりも不正競争防止法や秘密保持契約の締結がより望ましい手段ということになる。裁判例も、以前はかなり抽象的なノウハウや情報の保護によって競業避止義務の正当性を肯定していたが(東京地判平成18.5.24判時1956号160頁[ピーエム・コンセプツ])、近時はより厳格に正当性を認める傾向にある(東京地判平成24.1.13労判1041号82頁[アメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニー])。

そうすると、営業秘密の保護のための競業避止条項は、不正競争防止法の営業秘密保護規定の整備が進んだ現在においてはより厳格に解して考えるべきである。

他方で、不正競争防止法上の営業秘密保護規定は、転職後に一定の情報を用いて行う一部の行為を規制するという意味では、転職の自由への制約は少ないとは言える。もっとも、労働者は在職中に様々な当該業種に関するノウハウや情報、人脈を取得し、退職後にそのような情報を使いながら新たな企業をすることは社会一般に許容されているものであり、そのような企業が社会の活力となり得る。その意味では、在職中の情報の取得や退職後における使用が直ちに違法というわけではなく、退職後の適法な行為と違法な行為は地続きになっており、その境界が一義的に明らかであるというわけではない。そうすると、不正競争防止法上のサンクションは、労働者に適法な退職後の活動を行うことを萎縮させる影響を与え得る。特に、近時、営業秘密の不正利用を行う一定の行為に対する刑事罰の法定刑はより重くなり、かつ未遂処罰が規定された(平成27年の不正競争防止法改正)。もちろん、刑事罰が科される不正競争行為は限定されているが(同法21条)、重すぎる制裁は、刑罰の対象外である適法な行為に対しても抑止効果を及ぼし得る。このことからすれば、捜査を行ったり実際に刑事訴追をするのは、真に悪質な事案に限るべきであり、それ以外の事案では民事訴訟等の当事者間の紛争解決に委ねるべきであろう。

また、秘密保持契約による営業秘密の保護は有用であるが、業務に関する情報の全てを保護の対象とすることは、前述した情報を利用した転職や新たな企業を妨げることになる。それゆえ、日常的な業務により得られるノウハウや知識については秘密保持契約の対象にはできないと解すべきである(奈良地判昭和45.10.23判時624号78頁 [フォセコ・ジャパン・リミティッド])。

以 上

 

[1] ゲーリー・S・ベッカー(佐野訳)『人的資本―教育を中心とした理論的・経験的分析―』(1976、東洋経済新報社)21頁。

[2] 戸田淳仁「職種経験はどれだけ重要になっているのか―職種特殊的人的資本の観点から」日本労働研究雑誌594号(2010)1頁。

[3] 労働者は報酬のうちの平均約15%を企業に特殊な人的資本の取得に対する支払いとして受け取っているといわれ、いわれなき解雇によって別の企業に就職する場合には、平均して約15%の給与下落を伴うと指摘するものとして、アーノルド・ピコー=ヘルムート・ディートル=エゴン・フランク著(丹沢=榊原=田川=小山=渡辺=宮城訳『新制度派経済学による組織入門』(第4版、2007年、白桃書房)281頁。

[4] Ronald J. Gilson, The Legal Infrastructure of High Technology Industrial Districts: Silicon Valley, Route 128,and Covenants Not to Compete. New York University Law Review 74:575-629.

[5] キャロライン・シマード=ジョエル・ウェスト「知識ネットワークとイノベーションの地理的な位置」ヘンリー・チェスブロウ編著(長尾高弘訳)『オープンイノベーション 組織を越えたネットワークが成長を加速する』(2008、英治出版)294頁。

[6] Sampsa Samila &Olav Sorensen, Non-compete Covenants Incentives to Innovate or Impediments to Growth, DRUID Working Paper No. 10(2009)page10.

[7] 以上の議論について、詳しくは平澤卓人「労働者の競業活動と不法行為―三佳テック最高裁判決と下級審判決の総合的研究」新世代法政策学研究19号(2013)269頁。

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