営業秘密官民フォーラムメールマガジン掲載コラム 第61回
改訂コーポレートガバナンス・コードを踏まえた知財投資等の開示と営業秘密管理
弁護士知財ネット
弁護士 阿久津匡美
PDF版ダウンロード:[営業秘密官民フォーラムメールマガジン掲載コラム] 第61回 改訂コーポレートガバナンス・コードを踏まえた知財投資等の開示と営業秘密管理
1. はじめに
今般、2度目の改訂がされたコーポレートガバナンス・コード(CGコード)ですが、皆様ご存じのとおり、その補充原則に、知財投資等の開示等に関する文言が新しく入りました。
財務情報の開示に加えて、SDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境・社会・ガバナンス)投資、SX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)と言われ、企業とは何なのか、どのようなパーパス(目的)でどのような価値を創造しているのかが問われている昨今、秘密情報を守りながら、知財投資等非財務情報の開示を検討することは、営業秘密管理にも資すると考えられます。
今回は、CGコードを踏まえながら、営業秘密管理について、今一度、振り返ってみたいと思います。
2. コーポレートガバナンス・コードとは
(1) そもそもコーポレートガバナンスとは
コーポレートガバナンスは、企業統治と訳されますが、その目的は、「長期的な投資、金融の安定及びビジネスの秩序を促進するために必要な、信頼性、透明性及び説明責任に係る環境を構築することを手助けし、それによって、より力強い成長(stronger growth)とより包摂的な社会(more inclusive societies)をサポートすること」にあります[i]。
そのような目的に向けた企業統治のための行動規範・指針(コード)が、コーポレートガバナンス・コードです。
(2) コーポレートガバナンス・コードの歴史
我が国を含めた諸外国のコーポレートガバナンス・コードの源泉は、OECDコーポレート・ガバナンス原則に遡ると考えられます。
同原則は、1999年にOECD閣僚によって支持されて以来、「世界中の政策担当者、投資家、企業及びステークホルダー(利害関係者)のための国際的ベンチマーク」となってきました[ii]。
それから十数年、日本の「稼ぐ力」を取り戻そうという機運のなか、我が国「企業を変える」必要があるとされ、一丁目一番地の政策・施策として、「企業統治(コーポレートガバナンス)の強化」にスポットライトが当たりました(『「日本再興戦略」改訂2014』[iii]や、いわゆる伊藤レポート[iv]ご参照)。
こうして、2015年3月5日、「コーポレートガバナンス・コードの策定に関する有識者会議」から、我が国のコーポレートガバナンス・コード(CGコード、コポガバコード)の原案が公表されました。
当該原案のタイトルは、「コーポレートガバナンス・コード原案 ~会社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上のために~」です[v]。このサブタイトルは、原案から実際のCGコード[vi]にも引き継がれていますが、CGコードの源泉がOECDコーポレート・ガバナンス原則にあることが垣間見えるわけです。
あわせて、CGコードは、適切な企業統治をして企業不正を防ぐという「守りのガバナンス」だけを狙いとするのではなく、「稼ぐ力」を取り戻すための「攻めのガバナンス」も狙いとしました。
「守りのガバナンス」はイメージしやすいかもしれませんが、「攻めのガバナンス」とは・・・?
曰く、意思決定過程の合理性を担保するCGコード→会社の透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を促す→健全な起業家精神の発揮→会社の持続的な成長と中長期的な企業統治の向上→我が国の競争力を取り戻す・強化する(当該原案1~4頁)ということです。
こうして、CGコードは、2015年6月1日、東京証券取引所が、その有価証券上場規程を改正して、第445条の3にコーポレートガバナンス・コードの尊重を、第436条の3にコーポレートガバナンス・コードを実施するか・実施しない場合の理由の説明(コンプライ・オア・エクスプレイン)を定めたところからスタートしました。
その後、日本の上場企業においてCGコードの実質的な実践が浸透することに伴って、2018年6月に1度目の改訂がなされ、今般、2度目の改訂がされました。
(3) 営業秘密管理は守りのガバナンスだけの話なのか
それでは、このようなCGコードと営業秘密管理との間にいったいどのような関係性があるのでしょうか?
前置きが長くなりましたが、営業秘密管理の検討・実践は、秘密情報の漏えい防止という「守りのガバナンス」の側面だけではなく、CGコードが目指す「攻めのガバナンス」とも関係している、そして、そのような傾向については、上場企業だけではなく、広く未上場の中小企業やベンチャー企業も倣った方がいいのではないかというのが、本コラムでご紹介したいことです。
3. コーポレートガバナンスと「知的財産への投資」(知財投資)
(1) CGコード改訂は秘密情報の開示を強いるものではないことにまず留意
今般の2度目のCGコード改訂により、情報開示の充実に関する原則3-1の補充原則として、「上場会社は、経営戦略の開示に当たって、自社のサステナビリティについての取組みを適切に開示すべきである。また、人的資本や知的財産への投資等についても、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである」(※下線部は筆者による)と「知的財産」が明示されたことから、知財部や知財担当者など、今まで情報開示とは縁遠かった、いわゆる知財系の人々の間においても注目されています。
なぜ縁遠いかというと、今まで情報開示と言えば、メインストリームは財務情報の開示だったからです。
非財務情報の開示というトレンドが我が国においても浸透してきたのは、CSR(Corporate Social Responsibility;企業の社会的責任)やESG投資(Environment, Social, Governance)の普及に伴うところであり、ESG投資と裏腹の関係にあるともいえるSDGs(Sustainable Development Goals;持続可能な開発目標)が(国連サミットで採択されたのは2015年9月ですが[vii])市井に普及してきたのがここ数年という時代感覚からも、非財務情報開示の広がり具合がイメージできるのではないでしょうか。
このように、財務情報の開示業務からは縁遠く、生憎、CGコードが意識されてきたことがあまりなかった知財畑がゆえに、今般のCGコード改訂についてよく勘違いされることの一つに、知的財産への投資(知財投資)についても「具体的に情報を開示・提供」しなければならないとするとノウハウなどの秘密情報も開示しないといけないのか、という誤解があります。
もともと、CGコードは、知財投資に限らず、秘密情報の開示を強いるものではありません[viii]。
上記のとおり、CGコードが「攻めのガバナンス」により「会社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上」を図るものということから考えれば、自ずと明らかになることですが、今般のCGコード改訂でノウハウ開示が強いられたという在らぬ誤解が時々、側聞されます。
このような誤解をしないよう、まず留意しましょう。
(2) 「知的財産」の意味も色々であることにも留意
CGコードは、補充原則3-1に限らず、プリンシプルベース・アプローチ(原則主義)が採用されています。プリンシプルベース・アプローチとは、「一見、抽象的で大掴みな原則(プリンシプル)について、関係者がその趣旨・精神を確認し、互いに共有した上で、各自、自らの活動が、形式的な文言・記載ではなく、その趣旨・精神に照らして真に適切か否かを判断する」(原案3~4頁)というものです。
各社が目指すコーポレートガバナンスのあり方から遡ってコードの趣旨・精神を踏まえた対応を検討することが求められている[ix]わけです。
そこで、CGコード上の「知的財産」という文言についても、必ずしも知的財産基本法上の定義と同義であると解釈する必要はありません。もっと広く自由に捉えていいのです。
例えば、営業秘密ではない秘密情報や[x]、ブランディング、企業のナレッジなども「知的財産」に含まれていると解釈しても問題はないのです。
4. コーポレートガバナンスと営業秘密管理
(1) 「攻めのガバナンス」とは
そもそもCGコードは、守りのガバナンスのみならず攻めのガバナンスのために導入されたものですので、知財畑だから縁遠いというのは、非常に残念な機会損失な状況だったわけです。
言うまでもなく、企業が「稼ぐ力」や競争力を取り戻したり、強化したりするためには、まずは経営戦略が必要なのですが、その経営戦略の策定・実行にあたっては知財投資に関する戦略(知財戦略)も相互に作用し合う戦略として不可欠な要素と言えるからです。
ときに経営戦略から考えて知財戦略を練り、ときに知財戦略からさかのぼって経営戦略に変更・修正を入れる、そのような相互作用や有機的関係性がある方がより「会社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上」に繋がることでしょう。
いわゆる知的財産権のみならず、知財に関する情報もヒトも、経営に関与したり経営判断に貢献したりできる組織の方が、競争力を強化でき、その企業なりのその時代背景なりの持続的な成長をできる、そういうメッセージが今般のCGコード改訂に込められているように思われます。
そこで今、こうして改訂されたCGコードを、このような有機的な組織運営のきっかけを与えてくれたものとして、営業秘密管理にも活かしてみてはいかがでしょうか。
(2) CGコード改訂をきっかけとして何を営業秘密管理に活かすのか
では、CGコード改訂を営業秘密管理にどう活かせばいいのでしょうか。そのために、そもそもなぜ企業は持続的に成長しなければならないのかについて少し考えてみたいと思います。
かつては終身雇用制のもと一つの企業に勤め上げるということが一般的でしたが、今や、ずっと同じ企業にいると、むしろどこにも行けない人材とネガティブに見られる傾向もあります。自社が10年後も20年後も続いていくということを前提とするよりも、5年後にはM&Aされているかもしれない、創業経営層はEXITして新しい企業に力を注いでいるかもしれない、そのようなことを想像する場合も増えてきました。
また、一つの副業だけではなく、複数の副業をすることで、自らのスキルやキャリア、人生を個性豊かにしようとする者も多くいます。
このように、我が国においても、スターアップやベンチャー企業が育ち、意欲的、主体的に経営をしたり、問題意識、目的意識を共有してキラキラと働いたりする者が増えた一方で、貧富の差が拡大して二極化が進み、ワーキングプアや搾取されるギグワーカーなど、食べるために働く・働けど食べられない者も大きな社会課題となっています。
すなわち、一つの企業といっても、その構成員は、意欲的な者から退廃的な者、雇用関係があるように見えてそうではない者、その意欲が転職やEXITによる自らの次のステップに向けられている者、副業に充実を感じている者など、多種多様な意識・意欲・価値観の者がいて、かつてよりも人心掌握や人材マネジメントが複雑困難化し、企業への帰属意識や一企業としての一体感が低下している状況にあるといえるのではないでしょうか。
もちろん、帰属意識や一体感が低いからといって、秘密情報の持ち出しといったような規範意識の低下や違法行為に直ちにつながるわけではないわけですが、働き方も社会を取り巻く状況も変わった昨今では、なぜ「我が社」のためにこれをしなければならないのか、これをやって何になるのか、そもそも「我が社」とは何なのか…という根本的な疑問を多くが抱えている状況ともいえます。
(3) CGコード改訂の流れから窺えること
このように企業とは何かという問題に立ち返ってみませんかという問い掛けが、CGコードやCSR、SDGsといった一大ムーブメントから発せられているように思われます。
振り返れば、企業は利益を上げて株主に還元する組織であるという株主至上主義や、何よりもお客様のためにあるという顧客第一主義、ドライな実力主義など、その時代時代の流れを受けて、企業とは何ぞやについて様々な考え方がなされ、そのような考え方を持った個々人の集合体としての企業活動が繰り広げられてきましたが、今の時代の流れの中にある考え方の一つが、企業とは、一人ではできないことやるための場であって、ヒト、モノ、カネ、知財など様々な資本を活かして価値を創造し社会に提供するものであり、当社は~のために(パーパス)~という価値を提供するという、という考え方ではないでしょうか。
このパーパスと、どういう価値を提供するのかという2つのことを社内全体で共有することができれば、より主体的に、より意欲的に働くことに繋がり、意識が改善・向上して、不正防止といった「守りのガバナンス」に資するとともに、その企業の競争力の強化にもつながっていくでしょう。
そう、そしてここまで読めばお気づきの皆様も多いと思いますが、我が社のパーパスと創造できる価値を検討し合い共有し合うことが、営業秘密管理に活きるわけです。
(4) 知財も含めての価値創造ストーリーの(再)検討は、「守りのガバナンス」にも「攻めのガバナンス」にもなる
すなわち、我が社のパーパスと創造できる価値を社内で検討する→同じ価値観や思いを共有できる→一体感が増す。
こうして、CGコード改訂をきっかけに、知財投資も含めて、全社横断的に改めて自社のパーパスと創造できる価値を振り返ることにより、信頼関係の維持・向上等が図られ、その結果、ヒトに向けられた情報漏えい対策である「社員のやる気を高め、秘密情報を持ち出そうという考えを起こさせないための対策」に繋がるわけです(対策の詳細等については、この営業秘密官民フォーラムでも周知の「秘密情報の保護ハンドブック」をご覧ください[xi])。
あわせて、そもそも秘密情報を管理するにあたって、情報を棚卸し、管理対象を取捨選択するわけですが(同様に詳細は「秘密情報の保護ハンドブック」をご覧ください)、その選択基準の検討・整理においても、この情報を抜かれると我が社は死んでしまう…という価値判断以外に、我が社は何のためにどういう価値を提供していきたいのかという、CGコード実践時のバックキャスティングな考え方を活かすことができるのです。
5. おわりに
このように、我が社の何たるか(パーパス、企業価値創造ストーリーや経営戦略、知財戦略)を主軸に、情報の価値の軽重を検討し、同時に当該情報の特性(事後的救済に馴染むのか、そもそも事業のどのような場面で利用する情報なのか、どのように利用することでより事業に効果を発揮する情報なのか等々)を踏まえて、管理体制を検討し、管理基準に沿って選択し、実務からのフィードバックを受けながらより良い管理体制を運用していくことで、営業秘密管理でたびたび問題視される「仏作って魂入れず」状態(規程だけはあるが中身を伴っていない状態)から脱することができるのではないでしょうか。
ぜひ、今般のCGコード改訂をきっかけに、その込められたメッセージを受け止めて、営業秘密管理に活かしてみましょう。
以上
[i]「G20/OECDコーポレート・ガバナンス原則」(https://www.oecd-ilibrary.org/docserver/9789264250659-ja.pdf?expires=1633919515&id=id&accname=guest&checksum=38D4CD12CB9A7174071F47375A232A9C)
[ii]「OECD コーポレート・ガバナンス原則 2004」(https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oecd/pdfs/cg_2004.pdf)
[iii]『「日本再興戦略」改訂 2014 -未来への挑戦-』(2014年6月24日、http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/honbun2JP.pdf)
[iv]『「持続的成長への競争力とインセンティブ ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト (伊藤レポート) 最終報告書』(2014年8月、https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/kigyoukaikei/pdf/itoreport.pdf)
[v]https://www.fsa.go.jp/news/26/sonota/20150305-1/04.pdf
[vi]日本取引所グループウェブサイト(https://www.jpx.co.jp/equities/listing/cg/)
[vii]https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html
[viii]知財投資に関する戦略に限らず、経営戦略には競争力確保のため秘匿性が高い部分があり、当該部分を開示することは企業価値の向上につながらない可能性があるため、CGコードは、経営戦略のうち秘匿性の高い情報の開示まで求めているものではないと考えられてきました(澤口実=内田修平=髙田洋輔「コーポレートガバナンス・コードの実務 第3版」205頁、商事法務・2018年12月)。
[ix]前記澤口・16~17頁。
[x]実務では、多くの場合、営業秘密管理と秘密情報管理とは、異なった意味合いで使われますが、本コラムでは、秘密情報管理も含む意味で営業秘密管理と記載しています。
ちなみに、多くの場合、営業秘密管理は、秘密にしたい情報の中でも、万一の漏えいや不正使用が判明したときに、刑事事件として被害を申し出たり、民事事件において、使うな・廃棄しろといった差止請求を求めたり、損害の賠償を請求したりするという、ある意味、不正発生後=事後的な救済のために、情報の価値の軽重を見極めたり、選別したりして管理することを意味します。
他方、秘密情報管理は、営業秘密管理の概念も包括しながら、どちらかというと、事前=万一の漏えいや不正使用を防ぐための情報管理を意味しています。例えば、サイバーセキュリティインシデントによる漏えいの場合、犯人が誰か分からない、分かっても彼国で営業秘密侵害訴訟を取り得ないといったような場面がたびたび生じます。また、不正開示されることで直ちに情報の価値が失われるため、訴訟に時間もカネもヒトも注ぎ込んでも救済として実効的ではないとか、確かに漏れるのは防ぎたいものの言わば秒で陳腐化するような目まぐるしい鮮度の情報なので、ある程度の期間が経過してから差止命令や損害賠償命令が出てたところで…というような場合もあります。
[xi]https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/trade-secret.html、「【てびき】秘密情報の保護ハンドブック ~企業価値向上にむけて~/情報管理も企業力 ~秘密情報の保護と活用~」(9頁、https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/pdf/170607_hbtebiki.pdf)