営業秘密官民フォーラムメールマガジン掲載コラム 第15回
中小企業の抱く営業秘密に対する誤解
弁護士知財ネット北海道地域会
弁護士 安藤誠悟
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1 はじめに
本メールマガジンでは、大都市の弁護士だけでなく、地方で知的財産の業務に携わってこられた弁護士の方々もコラムを掲載してこられました。私も北海道で主として中小企業の依頼を受けて相談や案件に対応してきましたが、他の地方の先生方のコラムを読ませていただき、地方の企業における営業秘密に対する考え方、取り組み等、そして弁護士として考えさせられることは、どの地方でも同じだなあと感じてきました。
地方では、営業秘密について相談や依頼を受けること自体が多くはありません。また、相談や依頼の内容も、限られたものとなっています。具体的には、次のような相談や依頼を受けることはあります。
- 他社とビジネスをやるので、秘密保持契約書を作ってほしい、チェックしてほしい。
- 今度、従業員が退職するので、営業秘密が漏洩しないように誓約書、念書等を作ってほしい、チェックしてほしい。
- 今度、従業員が退職するが、当社で得た知識・経験・情報等を用いて競合しないようにさせたい。どうしたらよいか。
- 退職した従業員が、在職中に担当していた顧客に挨拶をして、顧客を奪おうとしているようだ。辞めさせたい。等
一方、次のような相談や依頼を受けることは殆どありません。
- 何を営業秘密として取り扱うべきか。
- 当社の営業秘密・他社から預かっている営業秘密を、具体的にどのように管理すべきか。
- 当社の営業秘密の管理体制は適切か。
つまり、営業秘密に関する相談は、その殆どが、具体的局面において、その場かぎりの対応を求められるものであり、営業秘密として保護するための根本的な対応を求められるものではありません。弁護士の仕事においては、営業秘密に限らず、このような傾向は、どのような分野でも見られるものですが、営業秘密の保護は、会社における日常的かつ継続的な対策が必要となる以上、その場かぎりの対応では、依頼者にとって真に必要なサポートにならず、もどかしさを感じてしまいがちです。
2 企業における営業秘密管理に関する実態調査
経済産業省及び独立行政法⼈情報処理推進機構(IPA)は、「企業における営業秘密管理に関する実態調査」を実施し、その調査結果を平成29年3月に公表しています。その調査結果では、業種について「製造業」「非製造業」に分け、企業規模については「大規模企業(従業員301名以上)」「中小規模企業(従業員300名以下)」に分けて、調査結果をまとめています。
地方の実情としては、企業規模を分ける閾値が300名というのは大きすぎる印象があり、殆ど全ての企業が「中⼩規模企業(従業員300名以下)」ということになってしまいますが、この調査結果は、中小規模企業における営業秘密に対する実情をよく表しています。いくつかの調査結果をピックアップします。
経済産業省
http://www.meti.go.jp/press/2016/03/20170317004/20170317004.html
独立行政法人情報処理推進機構(IPA)
https://www.ipa.go.jp/security/fy28/reports/ts_kanri/
※経済産業省には結果概要、IPAには調査報告書全文が掲載されています。
以下は、いずれも「中⼩規模企業(従業員300名以下)」の回答中に占める割合
- 営業秘密とそれ以外の情報の区分
営業秘密とそれ以外の情報を区分していない 製造業 57.8% 非製造業 55.4%
- 営業秘密の漏えい対策の状況
・営業秘密へのアクセスを物理的に制御するための対策
特に何もしていない:製造業58.6% 非製造業 54.0%
・営業秘密へのアクセスをシステム的に制御するための対策
特に何もしていない:製造業40.5% 非製造業36.2%
・営業秘密の持出を物理的に制御するための対策
特に何もしていない:製造業 73.5% 非製造業 66.7%
・営業秘密の持出をシステム的に制御するための対策
特に何もしていない:製造業 84.1% 非製造業 78.6% - 営業秘密の漏えい対策のうち、取引先に対する特有の対策
特に何もしていない:製造業 72.6% 非製造業 76.1% - 営業秘密授受等が発生する取引先には秘密保持契約を締結:
製造業 18.0% 非製造業12.5% - 取引先から開示された営業秘密を侵害してしまうことを防ぐために実施している対策
特に何もしていない:製造業 71.7% 非製造業 80.9%
3 地方の中小企業の営業秘密に対する誤解等
これまでの私の経験からも、また、上記の調査結果からも、地方の中小企業は営業秘密について誤った理解や認識をしているように見受けられます。具体的には、次のようなものです。
(1) 自社には守るべき重要な情報などない等の誤解
他の知的財産と同様、中小企業の経営者等の中には、「当社には、営業秘密として保護が必要な重要な情報はない」と考えている方がいます。このような方は、まず、「知的財産=高度なもの、最新のもの、先端的なもの」という考え方を持っており、営業秘密についても同様に非常に高度な技術情報というように狭く考えてしまっています。
反面、情報の性質や有用性にかかわらず、経営者として「他に見せたくない情報は全て営業秘密になる」と、営業秘密を広く考える方もいます。営業秘密のテーマとは外れるかもしれませんが、従業員に周知させるべき就業規則を、マル秘の判を押して、社長のデスクの引き出しに大切に隠し持っていることがあります。経営者としては、従業員が見ると、それに基づいて何を主張されるかわからないので、見せたくないと考えているようです。こういう経営者は、他の情報についても、「他に見せていいか、見せたくないか」だけを情報の価値を決める基準としてしまい、適切な区分ができなくなってしまいます。
(2) 会社にとって重要な情報は、自動的に「営業秘密」となるという誤解
会社にとって重要な情報であれば、何もしなくとも当然に「営業秘密」となり、法的に保護されると考えている方も少なくないように感じます。あたかも、著作権が創作と同時に発生するかのようなイメージで誤解しています。
このような誤解のため、重要な情報に営業秘密であることを認識できる表示等をしていなくても、「従業員も当然に重要な情報と分かっている」と考え、従業員が重要な情報を慎重に取り扱ってくれていると思い込んでしまっています。
営業秘密の要件である秘密管理が欠けている場合の理由としては、コスト面や煩雑さから対応できていない場合と同じくらい、そもそも秘密として管理しなければならないということを理解していない場合が多いように感じられます。
(3) 有用な情報は互いに共有しあうべきだとの信念
営業秘密のうち技術的な情報等について、社会に役立つものは自分だけのものにせず、広く皆に利用してもらうべきと考える方もいます。このような考え方は、産業の発展のために発明の公開を促す特許法等の精神に共通する面もあり、社会的には素晴らしい考え方ですし、情報を隠して独占するか、公開して広く利用してもらうかは、個人個人の世界観ですので、何が正しいということはありません。
しかし、経営者としては、自身の世界観のみを実現し、結果的に自社が競争力を失って消えていくという選択は正しいとは言えません。経営者は、公開により自社が危機にさらされる可能性を十分に検討した上で、公開すべきか否かを決断すべきにもかかわらず、そのような検討をしていない(公開により競争力を失うという意識がない)ことが多いように思います。
また、秘密にしてもいずれ同じ技術を誰かが考えついたり、マネされたりするから「自社が最初に考えついた」ことを社会に知らしめたいという考えで、積極的に公開する場合もあります。確かにパイオニアである地位を築くことも立派な戦略です。しかし、他の者が容易に考え付いたり、マネされるような技術は、そもそも営業秘密として守るよりも特許権の取得等で守るべきではないかということを検討し、公開しなければ容易に後追いされない場合には営業秘密として保護することを検討するというプロセスを経ずして、安易にパイオニアの地位を求めるのは問題だと思います。そのような姿勢は、単に自己顕示欲を充足するだけの結果になりかねません。
(4) 秘密保持契約書等の書面が万能であるとの誤解
取引先との秘密保持契約書・取引契約書中の秘密保持条項、役員や従業員との秘密保持契約書や誓約書等、書面を作成すれば営業秘密は守られると誤解している企業は少なくないように感じます。
そして、契約書等の作成にあたって、秘密情報の範囲を最大限に広く、情報受領者の秘密保持義務を最大限に重く課すことには熱心となるものの、自社が受領した情報の厳格な管理・取扱いができているかという点には意を払っていないことが珍しくありません。双方的な内容の秘密保持契約書等では、秘密情報の範囲を広く、秘密保持義務を重くすれば、当然、自社が受領した情報の管理すべき範囲・責任が重くなるのに、そのことについては気にしていないように感じることが多くあります。
そして、自社において厳格な情報管理ができていないにもかかわらず、何故か、秘密保持契約書等を締結すれば、契約相手は守ってくれると根拠なき信頼をしてしまっているのを不思議に思います。
(5) 重要情報が流出することはないとの過信
自社から情報が流出したり、情報を開示した相手が目的外使用をし、あるいは、漏えいしたりすることが絶対に無ければ、営業秘密として守るべき必要性はありません。中小企業の経営者の中には、情報漏えい問題は対岸の火事であって、「うちは大丈夫ですよ」と、自社には起こり得ないことだと思っている、あるいは、そう信じようとしている方もいます。このような自信は、従業員や取引先に対する強い信頼に基づいている場合もあれば、根拠のない自信としか思えない場合もあります。実際、私自身、飛行機に乗る時に事故のリスクを考えることはありませんし、航空事故のニュースを目にしても、「大きな事故に自分が巻き込まれることはないだろう」と楽天的でいます。トラブルが生じなければ、「これまでとおり、自分は大丈夫」と思ってしまうのは、ごく自然なことなのでしょう。
4 地方の弁護士としての今後の対応
結局のところ、地方の中小企業では、営業秘密についての基礎的な認識・理解が不十分であると言わざるを得ません。したがって、地方の弁護士としては、経営者の誤解を解き、正しく理解してもらうという努力を続ける必要があります。
もっとも、そういった努力には様々な工夫が必要です。
例えば、営業秘密に関するセミナーや勉強会を行ったとしても、本当に聞いてもらいたいような方々は参加せず、聞きに来られるのはある程度正しく理解した上で関心を持っている方が殆どであったりします。多くの中小企業に営業秘密について意識を向けてもらうためには、別のテーマ、例えば個人情報や労働問題をテーマとした機会に、それらのテーマに絡めて営業秘密についても説明する等の工夫が必要でしょう(個人的に、個人情報の取扱についての関心は、営業秘密の取扱についてより高いと感じています)。
また、具体的な依頼の場面でも、依頼者との関係にもよりますが、依頼を受けた内容だけにとどまらず、営業秘密について意識付けしてもらうことはできます。例えば、契約書の作成や検討の依頼の際、秘密保持条項についてのコメントを通じて、依頼者に自社の秘密管理体制を確認・再考してもらうきっかけをつくるといったことです。
そして、おそらく他の地域でも同じでしょうが、北海道では、知的財産に関するあらゆる活動でほぼ関係者が重複しています。弁護士についても、知財ネット北海道地域会のメンバーが、弁護士会知的財産委員会、北海道知的財産戦略本部、知財総合支援窓口、各種イベントの実施に参加しており、また、経済産業局、弁理士、発明協会、INPITとも色々な場面で繋がりがあります。つまり、知的財産の分野では、メンバーが限られた範囲であるからこそ、密な繋がりを持つことができています。
営業秘密を含む知的財産全般について、少しでも多くの地域企業の理解を深めて、企業の利益の維持発展を支援してためには、上記のような密な繋がりを活かして、皆で協力して様々な工夫を凝らしていくことが必要だと感じています。
以上