営業秘密官民フォーラムメールマガジン掲載コラム 第70回
地方における営業秘密保護の実情とその方策
弁護士知財ネット 東北地域会
弁護士 田中伸顕
PDF版ダウンロード:[営業秘密官民フォーラムメールマガジン掲載コラム] 第70回 地方における営業秘密保護の実情とその方策
営業秘密の保護は、地方でもその必要性が叫ばれて久しいですが、未だにその周知や実施が充分とはいえないのが実情です。本コラムでは、私が弁護士業をしている秋田県における営業秘密の保護に関する事例を紹介するとともに、その保護のために実情を踏まえた具体的かつ現実的な方策を検討したいと思います。
なお、以下で「営業秘密」として呼称するものは、不正競争防止法上の営業秘密に限らず、ノウハウ等の企業が秘密とすべき情報一般を指すものとします。
1 秋田の現状
令和3年6月1日時点の秋田県に存在する製造業の事業所の数は、1535事業所であり、そのうち従業員数が4~29人の事業所数は1088事業所となっています[1]。そのため、製造業の事業所の大半がいわゆる零細企業となっています。そしてその多くは、いわゆる大企業の下請けを担当していると考えられます。したがって、秋田県内の営業秘密を巡るトラブルは、主に取引上、上下関係のある業者間で発生しているといえます。
2 営業秘密侵害の事例
営業秘密侵害の事例(一部事例を改変しています。)をご紹介します。大手企業の下請けを担当していた企業(以下では「下請け企業」といいます。)が、元請け企業(以下では「元請け企業」といいます。)から、監査に対応するために必要であるなどと称されて、元請け企業に供給していた製品の図面の提供を求められました。下請け企業は、拒否して仕事が無くなることを恐れ、求めに応じて図面を提供しました。
そうしたところ、しばらくして突然元請け企業からの発注が来なくなりました。不審に思った下請け企業が調査をしたところ、どうやら元請け企業において今まで供給していた製品と同型ものを別の業者に発注しており、しかも発注先が海外の工場であったということが分かりました。
下請け企業は、改めて元請けと取り交わした契約書を確認したところ、秘密保持に関する条項の中に、「下請け企業から元請け企業に対して提供された営業秘密その他の知的財産は、元請け企業に帰属する。」という趣旨の条項がありました。
3 問題点の分析
この事例は、数年前の事例であり、全国的によくある発注元が発注先の営業秘密を取得して内製化してしまう典型的な事例だと思います。この事案で特に問題になると思われる点は、①元請け企業が合理的な理由なく(又はその有無が疑わしいにもかかわらず)一方的に下請け企業の営業秘密を取得したこと、②取得した営業秘密を海外に流出させた可能性があること、③下請け企業おいて営業秘密を無条件に元請け企業が取得することを認める契約条項を容認したこと、が挙げられます。
以下では、地方レベル、特に中小企業の中でも小規模であって資金等の限られた企業において、どのようにすれば上述した問題の発生を防ぐことができるか検討します。
4 ①元請けが合理的な理由なく営業秘密を取得したこと
(1)原因の分析
本件では、元請け企業は、監査といった営業秘密の提供を受ける合理的な理由にならないことを述べて、下請け企業から営業秘密の提供を受けています。これについて、営業秘密を提供する理由の合理性や提供する方法について慎重に検討しなかった下請け企業側にも一定の落ち度があるといわざるを得ません。他方で、下請け企業としては、元請け企業から仕事を貰うことができなければ事業を維持できないため、仕事を失うことを恐れて従わざるを得なかったという交渉上の力関係があります。そのため、下請け企業側だけに落ち度があるとはいえません。
そこで、下請け企業側で、法律上及び事実上に身を守る手段を講じる必要があります。
(2)法律上の方策
法律上の方策とは、不正競争防止法上の「営業秘密」として認められるための要件である、(ⅰ)秘密管理性、(ⅱ)有用性、(ⅲ)非公知性が認められるために、営業秘密となるように施すべき措置です。この措置については、現在、経済産業省のHPや本フォーラムの過去のコラムなどで幅広く紹介されているので、ここでは詳細には触れません。小規模な中小企業でできる方策としては、やり方として不充分かもしれませんが、図面等を電子データで提供しない、紙媒体で提供するにしても、どこの企業に帰属する情報であるかを明記した上で「秘密」の印を複数箇所に押す(印字する)、などが考えられます。
(3)事実上の方策
ここでいう事実上の方策とは、法的に根拠がある方法に限らず、元請け企業から営業秘密を合理的な理由なく取得される(吸い上げる)ことを防止する、いわば交渉テクニックを想定しています。
例えば、元請け企業から営業秘密の提供を求められた場合は、単に断るだけでは角が立つとも考えられます。そんなときは、「弊社は、県から補助金をもらっており、補助金をもらう過程で営業上の秘密を適切に管理するように指導を受けている。そのため、たとえ元請け企業であったとしても、営業上の秘密を何ら留保なく提供することはできない。」(補助金を言い訳にする方式)、「秋田県の相談窓口や弁護士に相談したところ、たとえ契約上、何ら留保なく提供可能な条項に見えても、限定的に解釈されるべきであるため、安易に提供してはいけないと言われた。」(弁護士等を悪者にする方式)、「安易に営業秘密になりえるものを提供すれば、他の発注先からの信用をなくすので、何ら留保なく提供はできない。」(商売上の正論を述べる方式)などと、主張することが考えられます。このように返答すれば、元請け企業がガバナンスを適切に行っている企業(要するに、まともな企業)であれば、営業秘密の提供を受けることについて、慎重になるはずです。
他方で、上述した道義的・商売上の正論を述べているにもかかわらず、なお営業秘密の取得を強行しようとするすれば、その元請け企業には色々な問題があるため、弁護士に相談するなどの本格的な対策を講じるべきでしょう。
5 ②営業秘密を海外に流出させたおそれがあること
この問題は、元請け企業の姿勢に問題があるといわざるを得ないです。下請け企業としては、営業秘密を安易に元請け企業に提供しない以外に対策はないと思われます。
現在、日本の知的財産が海外に流出した結果、莫大な経済的損失が日本に生じていると指摘されているのは、周知のとおりです。こういった事情は、元請け企業だろうが、下請け企業だろうが関係がなく、海外への営業秘密の流出を抑える努力義務があることを示しています。
そこで、上記3に関連して、元請け企業の営業秘密の取得行為に反抗する事実上の反論(言い訳)として、「現在、知的財産の海外流出は、日本全体の問題になっている。元請け企業も問題について対応しなければならない義務を負っていると思うが、それは下請け企業も同じである。したがって、契約書の文言はさておき、知的財産の提供は慎重にならざるを得ないためご了承いただきたい。」(理解を求める方式)、「知的財産の海外流出は日本全体の問題になっているため、営業秘密の提供は慎重にならざるを得ない。そのような状況下において、契約書の文言にかかわらず、元請け企業の方針として本当に営業秘密の留保のない取得を許容しているのか。本社に確認されたい。」(元請け企業の姿勢を問いただす方式)などが思いつきます。秋田県のような地方では、たとえ大手企業といえども窓口を担当しているのは地方の営業所であり、営業秘密を含めた法的知識に乏しい場合があります。そのため、なんの気兼ねなくコンプライアンスに抵触するようなことを仕掛けてくる場合があります。そのため、上述した後者の反論文句のように、会社全体の方針を本社に確認するように求めれば、引き下がってくれる場合もあります。言い方は悪いかもしれませんが、腐っても大企業だからです。
6 ③営業秘密の無条件取得を認める条項を容認したこと
この問題については、下請け企業側の意識が低く、かつ、知識が不足していることにより、チェック能力が備わっていないことに起因していると思われます。
このような条項は、何ら対価なく一方的に営業秘密の提供させる(吸い上げる)ことを強制する条項は、明らかに不公平であり、元請け側の異常性を伺わせるものです。ですが、平然と契約書に盛り込まれて提案されることがままあるようです。聞いた話では、特に海外に企業から提示される秘密保持契約書の書式には、一方当事者が相手方の当該契約に関係する知的財産一切を無条件で取得することを許容する文言が盛り込まれており、提示を受けた側の担当者は、まずはそのような文言を削除することから交渉が始まるのがルーティンになっている、などといった恐ろしい話もあります。
元請け企業側は、まさかこのような条項を下請け企業側が受け入れるはずがない、と思って提案したところ、存外すんなり受け入れた(スルーされた)ことで、しめしめと営業秘密を取得することができるようになってしまうのです。
このような事態は、下請け企業側にほんの少し営業秘密について気を付けなければならないという意識や、今までご説明したようなちょっとした知識があれば、容易に防ぐことができると考えられます。
そのための具体的な方策としては、例えば、講師を企業に招いて研修会を開いたり、従業員に研修動画の閲覧を義務付けたりといったことが考えられます。そして、就業規則に営業秘密の管理規定がない会社の場合、研修会の最後に参加してもらった従業員の方に、研修からの流れで秘密保持の誓約書に署名押印してもらう、というやり方もありえるでしょう。
7 結びに代えて
以上のとおり、秋田県で見聞きした事例を基に、地方でローコストかつ実行可能な営業秘密保護の方策の例を挙げさせていただきました。
昨今、日本は経済が低迷していることから、取引相手が日本国内の企業であれば、相手の営業秘密を守ることは間接的に日本、ひいては自分の利益を守ることにつながると考えられます。その意味で、もはや元請け企業や下請け企業、都会と地方といった垣根を超えて、営業秘密の保護が日本全体の問題として一緒に考える必要があると再認識する必要があると思います。そして、そのような認識が既に広まっていることを祈るばかりです。
以上
[1] 秋田県『経済センサス-活動調査の製造業に関する調査結果(令和3年)』URL: https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/71263、閲覧日:2023/11/11 15:46